私たちは毎日、何気なく暦を見て暮らしています。
日付を確認し、予定を立て、月の終わりに振り返る。
それは、とても自然な日常の一部です。
一方で、節分や立春だけは今でも大切にされています。
立夏、立秋、立冬といった
「季節の切り替わり」を意識する機会は、少しずつ減ってきたように感じます。
便利さが優先される現代では、
こうした切り替える感覚が、失われつつあります。
旬のものを食べるという習慣も、その一つかもしれません。
旬をいただくという選択は、季節の切り替わりを身体で感じ直す、もっとも身近な方法でもあります。
旬を食べるとは「自然の時間を味わう」こと
旬の食材という言葉は、
「新鮮」「おいしい」といった意味で
使われることが多くなりました。
けれど本来の旬とは、
自然の流れと人の暮らしが重なっている状態
を指します。
日本で長く使われてきた旧暦は、
月と太陽の動きをもとに、
季節の変化を細やかに捉える暦でした。
農作業、祭り、食。
それらはすべて、自然の時間とずれないように整えられてきました。
旬のものをいただくことは、
その自然の時間そのものを味わうことそのものです。
神道における食と旬|暮らしを整えるための考え方
神道では、自然のあらゆるところに
神が宿ると考えられてきました。
山、川、風、土。
そして、そこから生まれる作物もまた、
神の恵みとして受け取られてきました。
食べるということは、ただ栄養を摂るためだけのものではありません。
その季節に、その土地で育ったものをいただく。
それは、自然と人との関係を
もう一度結び直すためのものでした。
だからこそ、
「いつでも同じものが手に入る状態」は、
必ずしも心地よいものではなかったのです。
神饌に旬のものが供えられてきた理由
神社で神前に供えられる食べ物は、
神饌(しんせん)と呼ばれます。
神饌には、その時期に採れた
旬のものが用いられてきました。
それは、
「良いものを捧げる」という意味だけではありません。
今この季節に、
自然から差し出されているものを
そのまま受け取り、
感謝を示す。
供えることと、いただくこと。
この循環の中で、
人の暮らしは自然と調えられてきました。
陰陽論から見た「旬」と身体の関係
陰陽論では、
すべてのものは偏りなく巡ることで
調和が保たれると考えます。
季節もまた、陰と陽の移ろいの中にあります。
暑い時期には、体を冷ます性質のもの。
寒い時期には、体を温める性質のもの。
旬の食材は、
その時期に必要な性質を
自然と備えています。
だから旬をいただくことは、
身体を整えようと頑張ることではなく、
自然に戻していくことでもありました。
季節をいただくという選択
旬のものを食べることは、特別なことではありません。
今の季節を感じるだけでいい。
それだけで、暮らしは十分に調い始めます。
暦とともにある暮らしは、
急がない生き方を教えてくれます。
自然の時間に身を置く。
それが、日本の暮らしが大切にしてきた丁寧な生き方です。
忙しさの中で一息つけたい時こそ、季節の味を楽しんでみてください。

