和の精神で紡ぐ、新しい自分への道

なぜ人は変われないのか?自分を責める前に知るべき本当の理由

「新しい自分になりたい」「このままではいけない」。そう強く願い、変わろうと決意し、努力を重ねているにも関わらず、なかなか望む変化を実感できずに、もどかしい思いを抱えている方はいらっしゃいませんか?

一生懸命に取り組んでも思うような成果が出なかったり、以前の自分に逆戻りしてしまったり。「やっぱり自分はダメなんだ」と、変われないご自身を責め、落ち込んでしまう…。そのようなご経験は、決してあなただけではありません。

この記事では、変わりたいと願いながらも変われずに苦しんだ私自身の経験を振り返りながら、「なぜ人はなかなか変われないのか?」という問いを深く掘り下げていきます。そして、日本の伝統的な考え方である神道の視点も交えながら、変化というものへの本質的な向き合い方、そして、ご自身を大切にするためのヒントをお伝えできればと思います。

変わりたいのに変われない。その根底にあるのは「心の奥底で信じきれていない自分

かつての私も、「変わりたい」と強く願う一方で、心のどこか深い場所で「自分なんかが、本当に変われるのだろうか」「どうせ無理に決まっている」という、諦めに似た気持ちを抱えていました。

どんなに具体的な目標を設定し、一時的に情熱を燃やしたとしても、心の底から「自分は変われる存在だ」と信じることができていなかったのです。

無意識がかけてしまう「見えないブレーキ

私たちの行動や思考の多くは、自分自身ではっきりと認識している「意識」よりも、自覚のない「無意識」の領域に大きく影響されていると言われています。

頭では「変わりたい」「こうなりたい」と強く願っていても、無意識のレベルで「それは不可能だ」「自分には価値がない」といった否定的な思い込み(信念)を抱えていると、それが強力なブレーキとなり、変化へのアクセルを踏むことを阻んでしまうのです。

変わりたい気持ちと、変われない現実との間で葛藤が生まれるのは、この無意識の声が大きく影響しているのかもしれません。

「高い目標」を持たないという選択 |継続することの難しさ

私たちはしばしば、「やるからには高い目標を持つべきだ」と教えられたり、考えたりしがちです。しかし、その高い目標が、時として大きなプレッシャーとなり、達成できない自分を追い詰める原因にもなりえます。「こんなこともできないのか」と自己嫌悪に陥り、変化への意欲そのものを失ってしまうこともあります。

だからこそ、私はある時期から、あえて「大きな目標」を掲げることを手放し、結果がどうであれ、日々のやるべきことを「淡々と」続けていく、という姿勢を意識するようになりました。期待しすぎず、ただ目の前の一歩に集中する。それは、心の負担を軽くするための一つの知恵でした。

それでも訪れる苦しさ。「続ける意味」を見失いそうになる時

しかし、この「淡々と続ける」という姿勢も、決して簡単なことではありません。特に、目に見える成果やポジティブな反応がなかなか得られない時期には、「こんなことを続けて、一体何の意味があるのだろうか」「時間の無駄ではないか」という疑念や虚しさが心をよぎります。

モチベーションが低下し、すべてを投げ出したくなる瞬間も訪れるでしょう。ですが、そこで歩みを止めてしまえば、変化の可能性そのものを手放すことになりかねません。この「意味を見失いそうな時期」をどう乗り越えるかが、変化の過程における大きな課題と言えるでしょう。

物事が停滞する「運気が落ちる時期」と、変化の兆し

これまで順調に続けられていたことが、ある日突然うまくいかなくなる。あれほどあった意欲が湧いてこない。むしろ、すべてを辞めてしまいたくなる…。こうした停滞感や意欲の減退は、もしかすると、私たちのエネルギーの流れ、いわゆる「運気」が一時的に落ち込んでいる時期のサインなのかもしれません。

この世界は、エネルギー(氣)は巡り続けていると考えられています。私たちの心や体の状態、そして周囲の状況も、常に一定ではなく、波のように満ち引きを繰り返しています。エネルギーの流れが滞り、物事が停滞するように感じられる時期は、必ずしも悪いことばかりではありません。

それは、大きな変化が訪れる前の静けさ、次なる飛躍への準備期間、あるいは、これまでのやり方を見直すための大切な時間である可能性もあるのです。

神道の視点から見る「変化」

神道には、「常若(とこわか)」という美しい言葉があります。これは、常に若々しく、瑞々しく、新しく生まれ変わり続けることを尊ぶ考え方です。自然界が常に変化し、新しい生命を育み続けるように、私たち人間もまた、変化し成長し続ける存在である、という考え方が根底にあります。

禊祓に学ぶ、魂の浄化と再生

神道では、心身の「穢れ(けがれ)」を祓い清める儀式として「禊祓」を大切にします。ここでいう「穢れ」とは、単なる物理的な汚れだけでなく、心の曇りや滞り、ネガティブな感情や思考なども含まれます。変化や成長は、この「穢れ」を祓い、本来の清らかな状態に戻ることで促されると考えられています。

つまり、変化しようとする過程で経験する困難や苦しみは、見方を変えれば、自分自身の魂を磨き、不要なものを祓い清めるための「禊」のプロセスと捉えることができるのではないでしょうか。苦しい時期に諦めずに、ただひたすらに、できることを続ける。その真摯な姿勢そのものが、魂を磨き、清める「禊」となり、やがて神様(あるいは、目に見えない大いなる力)がそっと後押しをしてくれる瞬間につながるのかもしれません。

変化の鍵は、足元にある「小さな喜び」や「微かな変化」に気づくこと

私たちは、つい「大きな変化」「劇的な変貌」を求めてしまいがちです。しかし、そうした大きな変化を期待するあまり、日々の生活の中に既に起きている「小さな変化」や「ささやかな喜び」を見過ごしてしまうことがあります。

  • 昨日より少しだけ、成長を感じられた瞬間
  • 目標には届かなくても、昨日より一歩でも進んだ事実
  • 誰かの優しい言葉に、照れながらも心が温かくなった感覚
  • 苦手なことに、ほんの少しだけ挑戦してみた勇気

こうした、日常に散りばめられた「小さな光」に、私たちはもっと意識的に目を向ける必要があるのかもしれません。なぜなら、それらこそが、あなたが「すでに変わり始めている」という何よりの証拠であり、変化の確かな芽だからです。

変わろうと焦るのではなく、今ここにある「できていること」「感じているポジティブな感覚」を丁寧に拾い集め、大切に育むこと。それが、自信を養い、次の一歩を踏み出すための、何よりの力となるでしょう。

変われない自分を、責めない

もし今、あなたが「変わりたいのに変われない」と感じ、ご自身を責めてしまっているとしても、どうか、その手を少しだけ緩めてあげてください。

あなたは「変われない」のではなく、もしかすると、今はまだ変化のための「準備期間」なのかもしれません。あるいは、変化に必要なエネルギーを蓄えている最中なのかもしれません。

神道では、「すべての物事には、ふさわしい時がある」と考えます。花が咲く時、実が熟す時が自然にあるように、あなたの変化にも、最適なタイミングというものがあるのかもしれません。

焦る必要はありません。腐る必要もありません。大切なのは、結果をすぐに求めず、ご自身の内なる声に耳を傾けながら、魂の歩みを、一歩一歩、信じて続けていくこと。その真摯で、ひたむきな姿勢こそが、遠回りに見えたとしても、いつかあなたを本当に望む場所へと導いてくれる、最も尊い力となるはずです。