イザナギとイザナミ|古事記に学ぶ、人を信じる勇気と心の温め方
信じていた人に裏切られた痛みは、心に深い傷跡を残します。なぜかわからないけど、人を信用できないそう思って悩んでいる方も多いと思います。
私もそうでした。信用していた人に裏切られ、辛い思い悔しい経験をしたこが何度もあります。
なぜ人を信じられないのか?それは、自己肯定感の低さからくる「どうせまた裏切られる」という思い込みだったのかもしれません。
古事記の神々の物語にも、信頼と裏切りの間で揺れ動く姿が描かれています。今回は、特にイザナギとイザナミの物語を通して「信じる」ことの意味と、再び人を信じるためのヒントをお伝えします。
なぜ、私たちは人を信じられなくなるのか?
私たちは、様々な経験を通して「人を信じる」という心を閉ざしてしまうことがあります。
過去の裏切り
一度深く傷つけられると、その痛みは鮮明に記憶され、心の傷となります。友人、恋人、家族…信じていた人からの裏切りは、「また同じことが起こるのではないか」という強い不安を生み出し、新たな人間関係に踏み出すことを躊躇させます。
育った環境の影響
幼少期に親から十分な愛情を受けられなかったり、約束を破られる経験が多かったりすると、人との間に安心できる関係を築くことが難しくなります。信頼という心の土壌が十分に育まれなかったために、大人になっても人を信じることに抵抗を感じてしまいます。
自己肯定感の低さ
「どうせ自分は大切にされない」「いつか裏切られる」と感じる自己肯定感の低さは、他人を信じることをさらに難しくします。自分も信じられないから、相手もそうだと決めつけてしまいます。
私自身、「自分には価値がない」と感じていた時期には、他人の親切を素直に受け取ることができず、「何か裏があるのではないか」と勘ぐってしまうことがありました。
完璧主義(理想と現実のギャップ)
他人に対して理想が高すぎると、少しでも期待を裏切られると「この人も信じられない」と感じやすくなります。人間は不完全な生き物であり、間違いを犯すこともあります。その現実を受け入れられない完璧主義は、人間関係に不信感を生み出す原因となります。
疑念や警戒心の強さ
過去の経験や心の傷から、無意識のうちに警戒心を強く張り巡らせてしまうことがあります。「この人は本当に信頼できるのか?」と常に相手の言動を監視し、少しでも気になる点があるとすぐに疑念を抱いてしまう。それは、再び傷つくことから身を守るための、痛ましい鎧なのかもしれません。
古事記に映る信頼の光と影| イザナギとイザナミの物語
日本の神話には、私たちと同じように、信頼と不信の間で揺れ動く神々の姿が描かれています。夫婦の神であるイザナギとイザナミの物語は、信頼の脆さと、それを失った時に何が起こるのかを、私たちに深く考えさせてくれます。
イザナギは、亡くなった愛しい妻イザナミを追って、死者の国である黄泉の国へと向かいます。そこで変わり果てた姿のイザナミに再会した時、彼女はイザナギに「決して私の姿を見ないでほしい」と強く懇願します。
しかし、イザナギは妻の信頼を裏切ります。了承をしたのにも関わらず、約束を破ってイザナミの姿を見てしまうのです。変わり果てた妻の姿に恐れを抱いたイザナギは、黄泉の国から逃げ出します。
約束を破られたイザナミは激怒し、鬼女たちを差し向けてイザナギを追いかけさせます。二神は激しく争い、最終的にイザナギは黄泉の国と現世の間に巨大な岩戸を築き、二度と行き来できないようにしてしまうのです。
この物語は、信じることができなかったイザナギの疑念が、愛する妻との永遠の別れという悲劇的な結末を招いたことを示唆しています。
神道に学ぶ|信頼を取り戻すための道しるべ
神道は、自然や人々との調和を大切にする教えです。この視点から「信頼」について考えると、新たな気づきが得られます。
「和」の精神|歩み寄りと調和
神道では「和」の精神、つまり争わず、互いに尊重し合い、調和を保つことを重んじます。信頼関係もまた、一方的なものではなく、お互いが心を開き、歩み寄ることで築かれるものです。
私がそうだったように、人を信じられない時は、心に壁を作り、相手を受け入れることを拒んでしまいます。しかし、信頼関係を築くためには、恐れを手放し、少しずつでも相手に心を開いていく勇気が必要です。
私自身「奪われる」という思考を手放し、逆に「与える」ことを意識するようになってから、少しずつ周りの人を信頼できるようになりました。
「結び」の概念| 繋がりと恵み
神道には、人と人との繋がりを大切にする「結び」という考え方があります。信頼は、この「結び」を強固にする力となります。人を信じることで、温かい人間関係が生まれ、そこから助け合いや支え合いといった、良い縁やチャンスがもたらされます。
内なる声に従う
神道の教えは、頭で理解するだけでなく、自然や人との関わりの中で、心で感じるものです。人を信じることもまた、理屈ではなく、最終的には自分の内なる感覚を信じることが大切なのかもしれません。
警戒心を持つことは大切ですが、それに囚われすぎず、自分の心が本当に求めている繋がりを感じ取ることを意識してみましょう。
凍てついた心を再び温める
過去の傷や拭えない不安から、人を信じることは容易ではありません。しかし、少しずつでも心を温め、再び信頼を取り戻すために、できることがあります。
自己理解を深める(過去の傷と向き合う)
まずは、なぜ自分が人を信じられないのか、その根源にある過去の経験や感情と向き合いましょう。ノートに当時の状況や感じたことを書き出すことで、客観的に自分を見つめ直すことができます。
小さな信頼から始める(無理のない一歩)
最初から全ての人を信じようとするのではなく、身近な信頼できると感じる人に、些細な頼み事をしてみるなど、小さなことから信頼関係を築く練習をしてみましょう。成功体験を積み重ねることで、少しずつ自信を取り戻すことができます。
コミュニケーションを大切にする(言葉の橋を架ける)
自分の気持ちや不安を言葉で伝えること、そして相手の話を丁寧に聞くことを意識しましょう。言葉は、誤解を解き、心の距離を縮めるための大切なかけ橋となります。
完璧主義を手放す(不完全さを受け入れる)
人は誰でも間違いを犯す可能性があります。相手に完璧を求めすぎず、不完全さを受け入れることも、信頼関係を築く上で重要な要素です。
自己肯定感を育む(自分を信じる力を取り戻す)
他人を信じるためには、まず自分自身を信じる力が必要です。自分の良いところを認め、小さな成功体験を積み重ねることで、自己肯定感を高めていきましょう。
光の方へ、ゆっくりと歩き出す
人を信じることは、時に傷つく覚悟も必要とする、勇気のいる行為かもしれません。過去の傷が癒えず、不安を感じることもあるでしょう。イザナギが疑念に囚われたように、私たちもまた、時に不信の波に飲まれてしまうことがあります。
しかし、神道の教えが示すように、人との「和」を大切にし、「結びつき」を求める心は、私たちが生きる上でかけがえのないものです。
焦る必要はありません。あなたのペースで、少しずつ信頼への扉を開いていきましょう。自分の心を深く理解し、小さな一歩を踏み出すことから始めましょう。
もし、一人で悩んでしまう時は、いつでも私にご相談ください。あなたの心に寄り添い、共に未来への光を探します。
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