「自分に素直になる」とは?古事記の須佐男の物語から学ぶ、不平不満との違い
「自分に素直になろう」「正直に生きよう」という言葉をよく耳にします。しかし、それが「ただ、感情のままに不平不満を言うこと」と混同されてしまうことがあります。神道の視点から見ると、素直であることと不平不満を言うことは本質的に異なることがわかります。
この記事では、スサノオ(須佐之男命)の行動を例に、この違いを掘り下げながら、自己成長のヒントをお伝えします。
素直になることの大切さ
「素直になる」とは、自分の本心を偽らず、ありのままの自分を受け入れることです。それは自己理解を深め、他者との誠実な関係を築く上で欠かせないものです。例えば、心の奥底で感じている違和感や本当の願いを無視せず、正直に向き合うことが大切です。
しかし、これを誤って解釈すると、「思ったことをすぐに口に出す」「自分の感情を抑えずに発散する」ことが素直であると考えてしまうかもしれません。
そこで、神話の中のスサノオの行動を振り返り、正しい素直さについてお伝えしていきます。
スサノオの行動が示す「素直さ」の誤解
スサノオは、天照大神(アマテラスオオミカミ)の弟でありながら、数々の乱暴な行動をとったことで知られています。
- 父であるイザナギから「海を治めよ」と命じられたにもかかわらず、母を想い泣き続け、その役目を果たそうとしなかった。
- 天照大神が統治する高天原に行き、姉への愛情を示そうとしながらも、結果として田畑を荒らし、神殿を壊すなどの問題行動を起こす。
- これが原因で、天照大神は天岩戸に隠れ、世界が闇に包まれるという大きな事件(天岩戸事件)へと繋がる。
スサノオの行動は、本心に正直だった行動とも言えます。しかし、その素直さは周囲との調和を乱し、多くの混乱を引き起こしました。
このように、素直であることが「自分の感情のままに行動すること」だと考えると、大きな問題につながる可能性があります。
不平不満を言うこととの違い
スサノオの例から学べることは、「感情のままに行動すること」と「本当の素直さ」は違うということです。
素直であることとは、
- 自分の感情や考えを受け入れた上で、それを適切に表現すること
- 相手や周囲と調和しながら、自分の意思を伝えること
- 自分の本心を理解し、そこから前向きな行動を選ぶこと
一方で、不平不満を言うことは、
- 感情をそのままぶつけ、解決策を考えないこと
- 自己中心的な視点から物事を見てしまうこと
- 負の感情を広め、結果的に自分自身をも苦しめること
スサノオの行動は、自分の気持ちに正直であったものの、周囲への影響を考えなかったため、結果的に罰を受けることになります。
神道的な視点での解釈
神道では「調和(和)」が非常に重視されます。天岩戸事件の後、スサノオは追放されましたが、その後出雲にてヤマタノオロチを退治し、クシナダヒメと結婚することで、新たな役割を見出しました。
これは、「素直さ」をより良い形に昇華させることの重要性を示しています。
神道では、禊(みそぎ)という概念があり、自らの内面を清めることで、より調和のとれた生き方へと変わることができるのです。それは、心の浄化とも言えます。
スサノオのように、ただ感情をぶつけるのではなく、自分の心を整え、より良い行動につなげることが、本当の意味での「素直さ」なのです。
自己成長のための実践方法
では、日常生活の中でどのように「素直さ」を活かし、自己成長につなげることができるのでしょうか?
1、 自分の感情を一度整理する
何か不満や怒りを感じたとき、すぐに口に出すのではなく、一度深呼吸して「これは本当に必要な言葉か?」と考えてみる。
2、 感情を伝えるときは建設的に
「私はこう感じた」と自分の気持ちを主語にする(例:「あなたのせいでイライラする」→「私はこうされると悲しい」)。
3、 感情のコントロールを意識する
神道では、怒りや不満は心の穢れ(けがれ)となるとされる。適度な禊(みそぎ)=例えば自然に触れる、瞑想する、趣味に没頭するなど、冷静になれる時間を取り入れる。
4、 調和を意識した行動をとる
ただ自分に正直に生きるのではなく、相手との関係や環境全体を考えた上で、最善の行動を選ぶ。
スサノオから学ぶ、本当の素直さ
スサノオの行動を例に、「素直であること」と「不平不満を言うこと」の違いを見てきました。自己成長を目指すならば、ただ感情のままに行動するのではなく、自分の本心を見つめ、適切な形で表現することが大切です。
神道的な視点では、「調和」や「禊」が重要な要素となります。感情を整え、前向きに生きることで、より良い自己成長へとつながるのです。
ぜひ、日々の生活の中で「本当の素直さ」を意識しながら、成長の一歩を踏み出してみてください。