春になると、心が少しだけ軽くなる。
そんな経験あると思います。
冬のあいだ縮こまっていた感覚がほどけ、外の光が身体の奥にまで差し込んでくる。
すると不思議なことに、「何かを始めたい」という気持ちが芽を出します。
だけど同時に、多くの人がこう感じます。
「始めたいのに、動けない。」
「何をしていいのか、わからない」
「惹かれているのに、踏み出すのが怖い」
この矛盾は、意志が弱いからではないです。
春という季節そのものが、芽吹きと同時に、不安も浮かび上がらせる季節だからです。
春は「行動の季節」ではなく「内側が試される季節」
春のあたたかさは、心を前向きにする一方で、
動き出す直前にある迷いや怖れを、はっきりと可視化させます。
だから春は、「始める季節」であると同時に、
始まる前の自分の在り方が問われる季節でもあるのです。
ここで無理に動こうとすると、
春の力は「追い風」ではなく「焦り」に変わってしまいます。
木花咲耶姫の神話が示す「咲く前の整え」
この春の性質を象徴する存在が、日本神話に登場する木花咲耶姫(このはなさくやひめ)です。
桜の花のように美しく、軽やかな女神。
しかし神話の核心は、その華やかさではありません。
疑いを向けられたとき、木花咲耶姫は言葉で弁明することはありませんでした。
代わりに選んだのは、火の中で産むという命を懸けた行動でした。
それは罰でもなんでもなく、身の潔白を照明するためのもの。
懐疑の目を向けられるというのは、懸念そのものでしかありません。
木花咲耶姫はその懸念を自分の力で拭い去る行動を起こしたのです。
「始める」とは、外に向かうことではない
私たちは「新しいことを始める」と聞くと、
行動・挑戦・結果を思い浮かべることが多いです。
けれど神話が示しているのは、その前段階です。
何を始めるかよりも先に、
どんな状態で始まるかが問われている。
木花咲耶姫の火は、
自分の中の誠と、そうでないものを分けるための炎だったとも言えます。
春にまず必要なのは「走ること」ではなく「整えること」
春に何かを始めたいなら、
最初にやるべきことは勢いよく走ることではないです。
・何に怯えているのか
・何を失うのが怖いのか
・誰の目を気にしているのか
こうした問いに、すぐ答えを出す必要はありません。
むしろ、答えを急がないことが整えることになります。
整えるとは、派手なことではないです。
・夜の過ごし方を少し丁寧にする
・朝、空気を入れ替える
・迷いの象徴になっている物を一つ手放す
・言葉の選び方を変える
そうした小さな行いが、内側を整えていくことに繋がります。
咲くことと真意とは?
が咲くとは、明るくなることだけの意味ではないです。
怖れや曇りを抱えたとしていても、それでも誠を選び直すこと。
その選び直しが、人生の開花になる。
人生が動き出すときの、正しい順番
春に結果を求めすぎると、流れは停滞します。
大切なのは順番です。
- 整う
- 静まる
- 芽が出る
- 咲く
この順番を崩さなければ、人生は必ず前進します。
春は、無理に咲かせなくていい
もし今、動けていないとしても、
それは停滞ではなく整えのための時間かもしれません。
春は、無理に咲かせる季節ではないです。
咲く前の準備の季節でもあるのです。
大きな挑戦じゃなくてもいいのです。
あなたが「これならできる」と感じる、
そんな簡単なものでいいのです。
大事なのは継続できる状態を作ること。
その一手が、
木花咲耶姫の持つ「開花の力」と、あなたの現実をつないでいきます。

